後楽園駅
ホームの北に構内踏切(市道)があったほど有効長は長く,
機回り線も同様,会陽の特別輸送のため必要だったようだ.
踏切の位置は現在も動かず,夢二記念館北端になっている.
故牧野俊介が記録した時代は後楽園には島式ホームはなく,
カーブした対抗式ホームに挟まれた2線の駅の写真が遺る.
戦前の旭川改修工事の時も駅の敷地は動いていない模様だ.
3歳頃まで森下駅近くで育ったが会陽の蒸機の記憶はない.
氏の遺された写真,給水中の4号機はこの辺りであろうか.
西大寺車庫で私が見た給水槽の残骸はそのような形だった.


