西大寺鉄道 1960年代
百間川陸閘門
百間川(西大寺鉄道) 原尾島~藤原(西大寺鉄道)
原尾島~藤原     1961年

百間川と陸閘(左岸藤原側)
旭川の放水路として作られた.常日頃は水は流れていない.細長い遊水池と言ってもよい.
旭川が危険水域に近づくと一の荒手で百間川に越流する.治水防災の壮大な仕掛けである.

河床では稲作が行われていた.幹線道路が通じていて通行を妨げない工夫が陸閘であった.
増水時には2本の溝に木の板を落し込んで間に土嚢を詰めて水圧に耐えて土手に早変わり.

自然に逆らわない利用する.沈下橋に似たような発想,先人たちの巧まざる知恵であった.
増水時は鉄道は不通になってしまうが水が引くと忽ち復旧するから問題ではなかったのか.

西大寺鉄道は百間川に陸閘門を採用し自然災害と52年間闘い続けたとか,聞いています.
最近でも,百間川の増水時には消防団が出動して警戒にあたり,安全と災害に備えている.

百間川陸閘門遺構(米田橋付近)をご覧になりますか.