岡山市 2013年


足尾銅山
1610年発見されたという足尾銅山は江戸時代中期に栄え,明治初期鉱脈は尽きたといわれていた.
1877年(明10)古川市兵衛が捨て値で買い取った足尾銅山.粗銅の搬出ルートとして開かれた.
足尾銅山は1973年(昭48)閉山.別子銅山,小坂鉱山,日立鉱山なども今は昔のことになった.

日光電車
1890年(明23)日光まで鉄道が開通.その頃の輸送手段は馬の背に積む山道しか通じていない.
1893年(明26)足尾から軌道,細尾峠を索道で越え,岩の鼻~日光を連絡する軌道が開かれた.
足尾側は馬が牽き,日光側は牛が牽く軌間610mmのトロッコ軌道であった.1906年(明39)
清滝に日光電気精銅所ができ,1908年(明41),古川電工と日光市で日光電気軌道が創設され,
1910年(明43)日光停車場前-清滝古河精銅所 7.6kmの運行を開始,岩の鼻まで開通させた.

中禅寺湖へ
1913年(大2)馬返まで延伸.(同年に足尾鉄道が開通し桐生ルートが開かれので,索道と電車,
細尾峠を経由するルートに影響し,索道が取りさられた.)  1928年(昭3)日光電気軌道は,
東武鉄道の傘下に入り,翌年には東武鉄道が東武日光駅に到達した.熾烈な競争の始まった年である.
1932年(昭7)日光登山鉄道が馬返ー明智平に開通して.日光電気軌道を日光自動車電車に改称.
明智平から中禅寺にロープウエイも通じた.東武鉄道が電気鉄道の優位性を発揮して日光が近くなる.

山岳電機の入線.
1944年(昭19)にED40形転入,日光駅での直通貨車乗入,戦中戦後の貨物輸送に活躍した.
神橋の脇に鉄橋を架け,この光景は名所として写真が多く残されている.同年日光軌道(株)に改称.
1947年(昭22)東武鉄道と合併 東武鉄道日光軌道線となり,通勤通学と観光客の輸送に活躍.
標高は停車場前(後の国鉄駅前)の 標高533 m、馬返が838 m,平均勾配32‰ ほぼ片勾配,
全長10.6kmの路線で標高差505mもあり 平均勾配32‰,最急勾配は 60‰の軌道であった.
バス輸送に押され1968年(昭43)2月24日の最終日,日光軌道線は惜しくも全線廃止なった.
日光軌道線の100形は10両全車揃って,岡山電気軌道に譲渡され,同社ボギー化に貢献している.
歯車式軌条を除く,箱根登山,南海高野線,神戸電鉄鵯越、叡山電鉄鞍馬線に並ぶ山岳鉄道であった.

足尾線のこと
1895年(明28)開業の610mm.1925年(大14)にガソリン機関車を導入し動力化し,
馬から内燃機に変わった.小瀧-赤倉間の約20 kmを,トロ道と呼ばれ 10~15 km/hで走った.
本数は1日15本.列車は正確な時間から「定時」,機関車は形態から「ひょっとこ」とも呼ばれた.
「ガソリンカー」(現在の表現では機関車)が客車を牽いて,1953年(昭28)まで走っていた.
1911年(明44)足尾鉄道が足尾まで開通.1913年国が借り入れて国鉄足尾線となったのは,
1918年(大正7)である.1973年(昭48)に銅山は閉山になり輸入鉱石の精錬を続けたが,
1987年(昭62)国鉄分割民営化で貨物輸送は廃止された.1989年わたらせ渓谷鐵道に移管.

地球の未来
日本の銅山は20世紀で廃鉱になったが足尾周辺の山々は禿山で現在も植林が進められているという.
カドミウム汚染は渡良瀬川の流域住民の生活を奪った.谷中村は公害運動の原点のようになっている.
田中正造(1841年~1913年)は生涯をかけ行政機関と闘った.足尾銅山の正と負の歴史を考える時,
自然を大事に考え.限りある地下資源を大切に扱い,似たような過ちは二度と繰り返すまい.と思う.