“準混”(芸備線)道後山~小奴可

芸備線旅客列車 芸備線貨物列車

上り準混    道後山~小奴可  1962/03/14

中国山地の鉄穴流しかんなながしたたら製鉄
猫山,道後山の山頂山麓では,江戸中期から鉄穴流しと鈩が始まっている.
明治10年代には中国山地が全国の鉄生産の80%~90%を占めていて,
高梁川,日野川,斐伊川などの源流域で,大正10年頃まで行われていた.

1%未満の砂鉄と残りの土砂,木炭を得るため,山の容まで変えたことも,
小奴可に田畑が拓かれ村落ができ,膨大な土砂が下流に沖積平野を作った.
そんな土地とは知らない私は蒸気機関車に惹かれて,何度かここを訪れた.

1962年頃も備後八幡の製鉄所から煙が上がりトロッコの鉄橋があった.
鉄橋を眺めるだけで備後八幡で一度も途中下車しなかった.当時の私には,
猫山と道後山の区別もなく,小奴可の地形,鉄穴流しについて無知だった.

芸備線準混
もう1枚

◀ ◀ ◀               ▶▶▶



高梁川流域の 鉄穴流 しによ る 地形改変 と水田開発(赤木祥彦 ・貞方 昇).pdf

「中国山地では砂鉄を原料とする鑪製鉄が大正10年頃まで行われ,明治10年には...」
から始まる地理学の論文をインターネットで読むことができます.ご一読を薦めます.